沿革
池田町は明治32年5月「凋寒外13カ村戸長役場」の設置に始まり、平成20年に開町110年を迎えました。池田町に和人として初めて入植したのは山梨県出身の武田菊平氏で、明治12年のことでした。明治29年には本格的に開墾が始まり、旧鳥取藩主家当主の池田仲博侯爵による「池田農場」と大資本家の高島嘉右衛門氏による「高島農場」の二大農場によって開拓が進められました。明治の末期から大正時代にかけては水害や冷害、病虫害などによる凶作にたびたび苦しめられましたが、この苦難・苦闘の時代を乗り越えた先人と、先人によって切り開かれた豊かな大地が池田町の礎となっています。町の名称は明治39年に「凋寒村」とし、大正2年に「川合村」へ変更。大正15年には町制施行に伴い、現在の「池田町」に定めました。
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